140年以上前に誕生した、ロシアの文豪トルストイの名作。強欲な兄や悪魔の誘惑に負けずに、自らの体と手を使ってひょうひょうと生活するイワンの物語。ハンス・フィッシャーの挿絵、翻訳家・小宮由氏の新訳で現代に贈る、子どもにも大人にも読んでほしい名作です。
読んであげるなら何歳からでも、自分で読むならば小学校中・高学年から読める内容です(高学年以上の学習漢字にはルビがふってあります)。
■出口治明氏推薦文
地域起こしのキーワードに「よそ者、バカ者、若者」という言葉がある。つまり賢い大人は、結局、何事をも成し得ないのだ。愚直に信じるところを貫いて働く者だけが世界を変えるのだ。トルストイの「イワンの馬鹿」のテーマは、突き詰めればそこにあるのではないか。翻訳者の祖父は良心的兵役拒否者でありトルストイ文学の翻訳家だったという。祖父は「大旱の雲霓を望むが如く」良心的な翻訳の出現を待ち望んでいた。そして三番目の孫が新たな翻訳に挑戦することになった。何という運命の巡り合わせだろう。新訳は文章がこなれていて、とても読みやすい。「イワンの馬鹿」のような古典は、誰もが名前は知っているが実は読んだ人は意外に少ないものだ。ステイホームの時代、ぜひこの新訳でトルストイの名作を味わってほしい。大人も子どもも楽しめること、請け合いだ。
出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)
■訳者あとがき(抜粋)
今回、これまで幾度となく読んできた祖父の訳の『イワンの馬鹿』を、自らが訳すことになったのだが、やはり読むと訳すとは大ちがいで、その過程で、さまざまなことを感じることができた。というより、訳しはじめたころは、祖父の訳がすでにあるのに、わざわざ私が訳す必要があるのだろうかという自問自答の日々だったが、訳をすすめるにつれて〈多少の意義〉は感じられるようになったし、仮に意義がなくても〈個人的な経験〉として、とても有意義なものとなった。
〈多少の意義〉とは、一つに表現の現代語化だ。祖父の訳は「心訳」とも呼ばれ、原作者が泣いて書いた箇所は、訳者も泣いて訳したというほど良心的な訳ではあるものの、現代人にとっては、いくらか表現の難しいところがある。祖父と私とでは、二世代ちがうわけだから、仕方のないことかも知れない。その点を改めることによって、いまの読者が、この民話の世界に、より入りやすくなるのでないかと思った。
◆読者はがきから
賢さとは何だったのかを考えさせられます。
アリとキリギリスが頭に過る作品でした。
馬鹿は馬鹿でも実直で思いやりがあり、執着せず生きるイワン。人間は元来そうあるべきだったのではないかと、そんな風に思います。
馬鹿だったからこそ得た大成、イワンは素敵である意味恐ろしい人物でした。
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書店で通りすがりに思わず手に取ってしまったのですが、紙の質感、しっとりとした重さ、開いた時の活字のつつましくも美しい整い方、装丁が品よくそれでいてとてもおしゃれで、ちょっとうきうきするような感じ。もちろん、ハンス・フィッシャーの挿絵も。これは買うしかないですね。ということで、帰宅してむさぼり読みました。改めて、こういうお話だったんだなあと、しみじみと本を置きました。大切にします。
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ロシアとウクライナのことが頭にあったせいか、教文館(*書店)の本棚を見ていて、この本が飛び込んできた!という感じです。考えたら、トルストイの本、ちゃんと読んでいなかったので、新鮮な驚きを感じながら読みました。解説や訳者のあとがきもとても良く、味わいながら楽しみました。北御門さんのお孫さんの小宮さんに大切にされた作品なのですね。トルストイの他の作品も読もうと思ってます。1年半も経っていますが、この気持ちを伝えたくてお便りします。
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